サムエル氏の聖書黙想記録

プロテスタント信徒の聖書黙想記録です。

現代人こそ聖書を学ぶべき5つの理由④

現代人こそ聖書を学ぶべき理由の4つ目は

 

「怪しい勧誘に惑わされなくなる」です。

 

旧約聖書創世記の「アダムとエバ」の話をご存じでしょうか。

この物語は、神様と共に楽園で暮らしていた人間が、初めて犯した罪として知られています。

エデンの園の中央にある「善悪を知る実」を食べたことにより、人間は神のように善悪を知るものとなりました。やがて人間は神様に背き、自らを神とするようになったのです。

 

わかりやすい事例として、統一協会がニュースで話題になりました。 教祖が自らを神と自称し、違法な勧誘や献金を繰り返した実態が次々と明らかになりました。

 

「なぜこんなカルトに騙されるのだろうか?」と不思議に思うかもしれません。

 

しかし、人は心身が弱っていたり、なにか焦りを感じて冷静な判断ができない状況のときは、普通なら騙されないような詐欺に案外あっさり引っ掛かってしまうものです。

 

宗教の名を語っていなくても、似たような手口を使う詐欺師は後を断ちません。

 

聖書にはそのような詐欺師を見分ける方法としてこのようにしるされています。

愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。 あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。ヨハネの第一の手紙4章1−3

 

 

自己を神格化して「私の言う通りにしていれば必ず成功します」というようなことを語る人間は信用するなと聖書は警告しています。

 

最近はSNSで誰でも簡単にインフルエンサーになれる時代になりました。 しかし、有名になればなるほど謙虚さを失い、熱狂的なファンを囲い込み実態が宗教臭くなってくるという事態をよく見かけます。 聖書が偶像崇拝を禁じているのはその為です。

 

人間は人気者になると自分を神格化するし、人気者を崇拝してしまうのです。

 よく「一神教は融通がきかない」と言われますが、それくらい厳しくないと人間はコロッと騙されるわけです。

 

聖書にはそのような人間の弱さについて語られた物語がたくさんあります。

 

聖書について解説したメディアはたくさんありますが、私はぜひ本物の聖書を読んでみることをお勧めします。

何事も「本物」を手に取って自分で判断してみることが大切だと思います。

今は無料のアプリでも聖書が読めるようになったので、ぜひ気軽にダウンロードしてみてくださいね。

 

現代人こそ聖書を学ぶべき理由その③

現代人こそ聖書を学ぶべき理由の3つ目は

「聖書を通じて世界情勢や地理・歴史に詳しくなれる」です。

 

“若者の宗教離れ“は世界的な傾向のようです。

しかし、聖書は未だ世界で最も多く読まれている書物であり、これからもそれは変わることがないでしょう。

また、世界の殆どの国の歴史や文化は、イスラム教、ユダヤ教キリスト教のいずれかの影響を強く受けています。

特に旧約聖書は、これらの3つの宗教で大事に読まれている書であり、聖書を学ぶことは異文化理解にも繋がるのです。

 

たとえば、旧約聖書レビ記を読んでみると、食事制限などの戒律が記されています。

「地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反芻するものである。」レビ記11章2節

 

なぜユダヤ教イスラム教が豚肉を食べることを禁じているのか、についてはこの教えが元になっているそうです。

グローバル化が進み、インバウンドで外国人観光客が日本に訪れる機会が増えました。

なぜ彼らが食事に関する戒律を厳格に守るのかは、聖書を読めばそのルーツがわかるのです。

他にも「鱗のない魚は食べてはいけない」「鷲、鷹、ふくろう、みみずくも汚れているから食べてはいけない」などルールが細かく書かれており、レビ記は面白いとハマる人が少なくありません。実にマニアックな書なのです。

 

私はクリスチャンになる前だった子供時代、聖書は単なる空想物語でしかないと思っていました。

しかし、実際に読んでみると世界史の教科書に登場する人物が多く登場しており、また聖書の登場人物は現実の世界地図を旅していたことを知りました。

聖書って史実に基づいて書かれているんだ〜😳と驚いた記憶があります。

 

聖書を読んでいたおがげで、アフリカ、ヨーロッパ、中東の地理にも詳しくなり、10代の頃から教会学校で聖書を学んでいたおかげで社会科は1番得意な科目になりました。

 

また、聖書を学んでいたおかげで、外国の本や映画の登場人物が言う聖書を用いたジョークを理解できたり、絵画を見ても聖書のどのシーンを描いているのかがすぐに理解できるので、何倍も楽しむことができるのです。

 

聖書は教養としても一読の価値があるとても素晴らしい本です。

最近はアプリでも無料で聖書が読める時代になりましたので、気軽にダウンロードして読んでみてくださいね。

 

現代人こそ聖書を読むべき5つの理由②

現代人こそ聖書を読むべき5つの理由の2つ目は

「問題解決の軸を持つことができるようになる」です。

 

あなたは今、どんな問題を抱えているでしょうか?

生きている限り悩みは尽きません。一難去ってまた一難。その繰り返しです。

 

しかし、どんなに人生が暗く、進むべき道が見えなくっても、聖書は人生の道標となってくれます。

「あなたのみことばは、我が道の灯火、我が道の光です」詩篇119篇105節

 

先日、ビッグモーターの保険金の不正請求や街路樹の器物損壊など数々の不正が発覚し、ニュースでも話題となりました。

パワハラに怯えながら不正を強要されていたスタッフの日々は、どれほど苦しかったことでしょう。

 

このような企業は氷山の一角で、今でも心無い人権侵害に苦しんでいる人々は大勢いると思います。

そのような異常な環境に身を置いていると、善悪を判断する力が段々狂ってきます。

「社会的には悪とされていることも、社内では正しいと評価される」のはブラック企業あるあるではないでしょうか。

 

そのような時、聖書では「神様の目線で正しい行いをするように」と諭してくれいています。

他人がどれだけ「これが正しい行為なんだ」とあなたに迫ったとしても、「これは神様が喜ぶ行為なのか?」と立ち止まることが大切です。

結果的に会社をクビになったり、人間関係を失うことになったとしても、神様の声に従った結果であれば必ず報いがあります。

 

実は私も、過去にブラック企業に勤めていたことがあるんですよね、、、。

営業の仕事をしていたのですが、不正な方法による売り上げを正当化する社風があり、組織長もそれを黙殺していました。不正により売り上げを出した社員は天狗になり、パワハラを繰り返すようになりましたが、会社も特に対処する様子はありませんでした。

私も組織長に不正を強要されましたが、私が頑なに拒否するので、酷いパワハラを受けたことがあります。ストレスで体調を何度も崩しました。

そのような社風では他の従業員も精神を病んだり、仕事を放棄するようになり、やがて会社は弱体化していきました。

最後まで不正を拒み、パワハラにも屈しない姿勢を貫いた結果、私は他にいい条件の仕事が見つかったこともあり退職することになりました。

転職してから業界紙の記事で、前職の会社が取り上げられており、数々の不正が発覚し1週間の業務停止命令を受けたのちライバル企業に買収され、営業社員は皆リストラになったと知りました。

 

私がなぜそのような苦境に耐えられたのかというと、ただ「神様が喜ばないから」という理由だけです。もし私が神様の声ではなく、人の声に従っていたら、きっと私もその騒動に巻き込まれていたことでしょう。

 

神様は、聖書のことばに従って歩むものを守り、攻撃するものを排除してくださる方です。

 

「神様の前に正しい選択をする」ことは、時に人間社会では大きな不利益をもたらすこともあります。しかし、正しい選択をしていてよかったと思える日が必ず来ます。

目先の利益や、周囲の脅迫に屈してしまいそうになる時、聖書に助言を求めてみてください。

 

新約聖書ではイエス様の生涯が綴られているのですが、その生涯はまさにそのような闘いの連続でした。

強大なローマ帝国ユダヤ教の律法学者たちを前にしても、神様のことばに従って歩まれたのです。

結果的に、イエス様は十字架に架けられてしまいます。

しかし、その後死から復活し人々を罪から救い、死に勝利してくださいました。

エス様の生涯から学び、私たちも雄々しく歩んでいきましょう。

 

 

 

現代人こそ聖書を読むべき5つの理由①

プロテスタントクリスチャンのサムエルです。

突然ですが、皆さんは聖書を読んだことがありますか?

  • アダムとイブがリンゴをたべたり、ノアの箱船の話は知っている
  • キリスト教系の学校に通っていたので授業読んだことがある
  • 所詮作り話でしょ?

教会生活が長いと、老若男女、このような回答をいただくことが多いです。

科学が発展した現代では、聖書は非科学的で読むに値しない本だと思われがちです。しかし、聖書は長い人類の歴史の中で継承されてきた知恵が多く綴られており、それは現代でも色褪せることなく私たちに助言してくれているのです。

ここからは、私が約20年続けている教会生活で感じた「聖書を学ぶべき理由」を5つご紹介します。

聖書を学ぶべき5つの理由~その①~


自分の力ではどうしようもない問題を手離せるようになる

聖書の登場人物はとにかく不幸に見舞われがちです。身内に騙されてエジプトに奴隷として売られたり、戦争で捕虜になっちゃったり、天災に巻き込まれたり、、。

科学の発達により、疫病や災害による被害者の数は激減しましたが、それでもなお、新型コロナウイルスや自然災害など、自力ではどうすることもできない理不尽な災いは生きているうちに何度でもやってきます。

「神様がいるならどうして戦争や災害が起こるんだ」

「神様がいるならなんで子供たちを助けてあげないんだ」

ノンクリスチャンの人々から、このような質問をよく頂きます。いや、実はクリスチャンも同じことを思っています。それどころか、聖書の登場人物ですら同じことを言っています。なので、その疑問は出てきて当然なんですよね。

その質問は大昔からされていますが、神様は沈黙するんです。

仏教には、因果応報やバチが当たったというように自分に原因を探す言葉がありますが、聖書はそうではありません。神様から愛され幸せな人生を送っていた主人公がなんの前触れも無くいきなり不幸のどん底!ドーーーンッッ!っていう話がいくらでもあります。

なので結論を言うと「嘆いても仕方ないし、原因をあれこれ考えたって答えは返ってこないから諦めろ」なのです。

え!それって思考停止人間じゃん!やっぱり宗教は悪!と思う人もいるかもしれません。

しかし、私は聖書を読んでこう思えるようになりました。

「起こってしまった出来事を、今ある現実を、ありのまま受け入れて、神様に全てを委ねてしまえば良い」と。

そして、それと同時に「今の自分にできることを全力でやる」べきだと。神様は不幸な出来事に対しての”何故”には沈黙しますが、今何をするべきかはちゃんと示してくださいます。

もし目の前が真っ暗で、何をするべきか分からなければ祈ればよいのです。その祈りには必ず答えてくれます。

例えば、創世記においては、身内に裏切られエジプトに奴隷として売られたヨセフは、エジプト王が見た夢の意味を解き明かすことで国を救い、宰相まで大出世を遂げます。

もしヨセフが自分の運命を嘆くばかりで、自分のなすべきことを放棄していたら現実は何も変わらないままだったことでしょう。

入社した会社がブラック企業だった、

結婚した相手がモラハラだった、

失業した、病気になった、離別した

真面目に生きているのに、なぜこんな理不尽な目に遭わなければならないのか

人生はそのように嘆きたくなる出来事の連続です。

何も手がつかなくなって、食べられなくなって、布団から出られなくなることもあります。

そんな人生の辛い時、聖書は「自分ではどうしようもないこと」を神様に委ねて、「神様から与えられている能力でなすべきことをする」ことを私たちに諭してくれています。

 

現代風に言うなれば、「課題の分離」みたいなものでしょうか。

「自分で解決できる課題」と、「自分の力ではどうすることもできない課題」とに分けて考えて、前者に集中する。

これはビジネスにおいても、人生においても、再現性のある有効な考え方です。私自身も、人生のあらゆる困難に、聖書で学んだこの思考方で立ち向かってきました。そしてそれらは全て解決してきました。またこの話は、ブログのどこかでご紹介したいと思います。

今あなたが、難しい問題を抱えていて、誰にも相談できずに悩んでいることがあるなら、聖書を読んでみることをお勧めします。

神様は相談料取りませんので、無料で24時間悩みを聞いてくださいますよ!

サムエルでした。

受胎告知とフェミニズム ルカ1章26−38

あらゆる宗教に共通するもの

 

それは「女性蔑視」では無いでしょうか。

 

女性の生理は穢れとされ、宗教行事への参加を制限されたり

女性が聖域に立ち入ることを禁止したり

一夫多妻を認めていたり

 

夏から秋にかけて、日本各地で祭りが開催されていますが、その祭りの中心は殆どが男性です。

地域の婦人会と思わしき女性たちは、裏方で飲み物や食事を用意し、表舞台に出てくることはありません。

 

2018年4月4日の大相撲春巡業「京都舞鶴場所」では、市長が挨拶中に突然倒れた際に、応急処置で土俵に駆け上がった女性たちに「土俵から降りてください」とアナウンスがされたことが世界中に報道されました

 

しかしこのような事例は、日本に限らずあらゆる宗教行事に共通する傾向では無いでしょうか。

 

今、世界中の若者の間で「宗教離れ」が進んでいるのも、

このような伝統的宗教観が現代の若者の価値観と相容れなくなってきているのが

理由の一つなんじゃ無いかな〜と思うのです。

私も女性として、宗教が持つこのような「女性蔑視」の価値観には心底うんざりしています。

 

それと同時に、キリスト教は女性蔑視なのだろうか?とふと疑問に思いました。

 

そんなことを思いながらふと、教会学校の夏季学校で「キリストの生涯」を振り返る機会がありました。

未婚(ヨセフと婚約中)のマリア様の前に御使が現れ、受胎告知をするシーンから始まります。

当時のユダヤの社会では未婚の女性が妊娠したら石打ちによる死刑になりますので、要するにめちゃくちゃヤバい事態なのです。

 

それなのにマリアは「お言葉通りこの身に成りますように」と受け入れちゃうわけです。

さすが聖母となる乙女は肝が据わっています。

 

でもそもそも、婚前妊娠で死刑というその制度自体が「女性蔑視」なんですよね。

当時のユダヤ社会では、未婚の女性は「父親の所有物」とされていましたから、婚前妊娠→死刑ってのは要するに汚れた不用品を処分するようなものなんですよね。

 

その男の男による男のための法律にカチコんだのが「受胎告知」だったのかなと。

その証拠に「妊娠したよっ⭐︎」ってお告げが“所有者”である父親をすっ飛ばして、

マリア様にダイレクトに行っちゃってますからね。

 

ペットを病院に連れて行った時に、ペットに病状告げる獣医っていませんよね。

普通は飼い主に説明します。

 

つまり神様は、女性を「男の所有物」ではなく1人の「意思ある人間」として認めておられるのです。

神様のご計画ならば、全ての妊娠は「善し」なのです。

そこに男性の都合は関係ないのです。

 

マタイによる福音書1章1節ー17節は、アブラハムからイエス・キリストまで繋がる系図が記されています。

激長なので割愛しますが、この系図に登場するのはほぼ男性です。父親→長男の系図しか記されていません。当時は女なしで無性生殖でもしていたのでしょうか。

ネットで話題になった岸信千代の家系図そのものではないか。(知らない人はググってNE!)

それくらい当時の女性の存在は透明化されていたのです。

 

その家系図の最後に「マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」と記されています。

ユダヤ式家父長制により長く透明化されていた女性に、光が当たった瞬間だったのかなと。

エス様が世に来てくださらなければ、女性は今日も父親か夫の所有物として透明化されていたかもしれません。

私は女性クリスチャンとして、そこに感謝を抱かずにはいられないのです。

 

キリスト教と家父長制については、様々な意見を伺いますので、またそのことについてもブログで語っていこうと思います。

 

ご拝読有難うございました。