受胎告知とフェミニズム ルカ1章26−38
あらゆる宗教に共通するもの
それは「女性蔑視」では無いでしょうか。
女性の生理は穢れとされ、宗教行事への参加を制限されたり
女性が聖域に立ち入ることを禁止したり
一夫多妻を認めていたり
夏から秋にかけて、日本各地で祭りが開催されていますが、その祭りの中心は殆どが男性です。
地域の婦人会と思わしき女性たちは、裏方で飲み物や食事を用意し、表舞台に出てくることはありません。
2018年4月4日の大相撲春巡業「京都舞鶴場所」では、市長が挨拶中に突然倒れた際に、応急処置で土俵に駆け上がった女性たちに「土俵から降りてください」とアナウンスがされたことが世界中に報道されました
しかしこのような事例は、日本に限らずあらゆる宗教行事に共通する傾向では無いでしょうか。
今、世界中の若者の間で「宗教離れ」が進んでいるのも、
このような伝統的宗教観が現代の若者の価値観と相容れなくなってきているのが
理由の一つなんじゃ無いかな〜と思うのです。
私も女性として、宗教が持つこのような「女性蔑視」の価値観には心底うんざりしています。
それと同時に、キリスト教は女性蔑視なのだろうか?とふと疑問に思いました。
そんなことを思いながらふと、教会学校の夏季学校で「キリストの生涯」を振り返る機会がありました。
未婚(ヨセフと婚約中)のマリア様の前に御使が現れ、受胎告知をするシーンから始まります。
当時のユダヤの社会では未婚の女性が妊娠したら石打ちによる死刑になりますので、要するにめちゃくちゃヤバい事態なのです。
それなのにマリアは「お言葉通りこの身に成りますように」と受け入れちゃうわけです。
さすが聖母となる乙女は肝が据わっています。
でもそもそも、婚前妊娠で死刑というその制度自体が「女性蔑視」なんですよね。
当時のユダヤ社会では、未婚の女性は「父親の所有物」とされていましたから、婚前妊娠→死刑ってのは要するに汚れた不用品を処分するようなものなんですよね。
その男の男による男のための法律にカチコんだのが「受胎告知」だったのかなと。
その証拠に「妊娠したよっ⭐︎」ってお告げが“所有者”である父親をすっ飛ばして、
マリア様にダイレクトに行っちゃってますからね。
ペットを病院に連れて行った時に、ペットに病状告げる獣医っていませんよね。
普通は飼い主に説明します。
つまり神様は、女性を「男の所有物」ではなく1人の「意思ある人間」として認めておられるのです。
神様のご計画ならば、全ての妊娠は「善し」なのです。
そこに男性の都合は関係ないのです。
マタイによる福音書1章1節ー17節は、アブラハムからイエス・キリストまで繋がる系図が記されています。
激長なので割愛しますが、この系図に登場するのはほぼ男性です。父親→長男の系図しか記されていません。当時は女なしで無性生殖でもしていたのでしょうか。
ネットで話題になった岸信千代の家系図そのものではないか。(知らない人はググってNE!)
それくらい当時の女性の存在は透明化されていたのです。
その家系図の最後に「マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」と記されています。
ユダヤ式家父長制により長く透明化されていた女性に、光が当たった瞬間だったのかなと。
イエス様が世に来てくださらなければ、女性は今日も父親か夫の所有物として透明化されていたかもしれません。
私は女性クリスチャンとして、そこに感謝を抱かずにはいられないのです。
キリスト教と家父長制については、様々な意見を伺いますので、またそのことについてもブログで語っていこうと思います。
ご拝読有難うございました。