プロテスタントクリスチャンのサムエルです。
突然ですが、皆さんは聖書を読んだことがありますか?
- アダムとイブがリンゴをたべたり、ノアの箱船の話は知っている
- キリスト教系の学校に通っていたので授業読んだことがある
教会生活が長いと、老若男女、このような回答をいただくことが多いです。
科学が発展した現代では、聖書は非科学的で読むに値しない本だと思われがちです。しかし、聖書は長い人類の歴史の中で継承されてきた知恵が多く綴られており、それは現代でも色褪せることなく私たちに助言してくれているのです。
ここからは、私が約20年続けている教会生活で感じた「聖書を学ぶべき理由」を5つご紹介します。
聖書を学ぶべき5つの理由~その①~
自分の力ではどうしようもない問題を手離せるようになる
聖書の登場人物はとにかく不幸に見舞われがちです。身内に騙されてエジプトに奴隷として売られたり、戦争で捕虜になっちゃったり、天災に巻き込まれたり、、。
科学の発達により、疫病や災害による被害者の数は激減しましたが、それでもなお、新型コロナウイルスや自然災害など、自力ではどうすることもできない理不尽な災いは生きているうちに何度でもやってきます。
「神様がいるならどうして戦争や災害が起こるんだ」
「神様がいるならなんで子供たちを助けてあげないんだ」
ノンクリスチャンの人々から、このような質問をよく頂きます。いや、実はクリスチャンも同じことを思っています。それどころか、聖書の登場人物ですら同じことを言っています。なので、その疑問は出てきて当然なんですよね。
その質問は大昔からされていますが、神様は沈黙するんです。
仏教には、因果応報やバチが当たったというように自分に原因を探す言葉がありますが、聖書はそうではありません。神様から愛され幸せな人生を送っていた主人公がなんの前触れも無くいきなり不幸のどん底!ドーーーンッッ!っていう話がいくらでもあります。
なので結論を言うと「嘆いても仕方ないし、原因をあれこれ考えたって答えは返ってこないから諦めろ」なのです。
え!それって思考停止人間じゃん!やっぱり宗教は悪!と思う人もいるかもしれません。
しかし、私は聖書を読んでこう思えるようになりました。
「起こってしまった出来事を、今ある現実を、ありのまま受け入れて、神様に全てを委ねてしまえば良い」と。
そして、それと同時に「今の自分にできることを全力でやる」べきだと。神様は不幸な出来事に対しての”何故”には沈黙しますが、今何をするべきかはちゃんと示してくださいます。
もし目の前が真っ暗で、何をするべきか分からなければ祈ればよいのです。その祈りには必ず答えてくれます。
例えば、創世記においては、身内に裏切られエジプトに奴隷として売られたヨセフは、エジプト王が見た夢の意味を解き明かすことで国を救い、宰相まで大出世を遂げます。
もしヨセフが自分の運命を嘆くばかりで、自分のなすべきことを放棄していたら現実は何も変わらないままだったことでしょう。
入社した会社がブラック企業だった、
結婚した相手がモラハラだった、
失業した、病気になった、離別した
真面目に生きているのに、なぜこんな理不尽な目に遭わなければならないのか
人生はそのように嘆きたくなる出来事の連続です。
何も手がつかなくなって、食べられなくなって、布団から出られなくなることもあります。
そんな人生の辛い時、聖書は「自分ではどうしようもないこと」を神様に委ねて、「神様から与えられている能力でなすべきことをする」ことを私たちに諭してくれています。
現代風に言うなれば、「課題の分離」みたいなものでしょうか。
「自分で解決できる課題」と、「自分の力ではどうすることもできない課題」とに分けて考えて、前者に集中する。
これはビジネスにおいても、人生においても、再現性のある有効な考え方です。私自身も、人生のあらゆる困難に、聖書で学んだこの思考方で立ち向かってきました。そしてそれらは全て解決してきました。またこの話は、ブログのどこかでご紹介したいと思います。
今あなたが、難しい問題を抱えていて、誰にも相談できずに悩んでいることがあるなら、聖書を読んでみることをお勧めします。
神様は相談料取りませんので、無料で24時間悩みを聞いてくださいますよ!
サムエルでした。